“便利”の功罪
はいども~、ここ2年自宅の風呂釜にお湯を張っていないまるちゃんです。
今月に入った辺りからようやく
秋らしい(u_u*)
気候になり始めたような気がする今日この頃ですが、皆さんは“秋”を実感できていますでしょうか?忙しい日々でも、そうした四季折々なるものを、風流に感じられるのはある意味日本に住んでいる特権ですから、ちょっとした息抜きもしてみてくださいね。
さて、そんな事を云々とまた久々に綴りを更新しているわけなんですが、皆さんは最近
いつ文章を“書き”ました?
この“書き”というのが、特に社会人の中では失われつつあるような感じがします。それはパソコンや携帯といった
便利機器の普及
が起因するんですけれども、この“書く”という作業は、先ほどあげたものを使って、いわゆる“打つ”というものよりも遥かに
脳の働きを活発化させるb
事は科学的にも照明されています。確かに前者は面倒臭く、様々な所で“効率化”を求める現代社会においては、特に作業という中で出来るだけ削除していきたいものとして扱われていますよね。
けれどこれも結局は
使い方( ̄-  ̄ )b
なんだとは思います。便利はあくまで、その目的を達成させるための手段における選択肢を広げるためのもので、全ての状況においてそれが良い、といった訳ではありません。
こうした例で挙げられるのが、会社への重要な連絡をメールで済ませてしまう、ということでしょう。特に自分にとって直接上司らとコンタクトをとる事によって
“否”な状況を生んでしまう可能性(;´Д`)
を持ち合わせている時に使われる事が多いようです。しかし、思えばワタクシめが学生の頃、女の子に連絡を取るにはその子の家に電話をしないといけない。けど
彼女以外の人が出た時、ちょっとヤやなぁ…(*´д`)
まぁ明らかにその可能性の方が大きい訳で、そうした緊張感の中で電話をし、親御さんが出たら出来ないながらにも挨拶を交わし…あの頃は面倒だった事が、今思えばあのやりとりの中で色々と勉強させてもらったような、ワタクシめはそう思います。
例を挙げていけばキリはないでしょうけど、こんな風に
“面倒くささ”から学べるものd('ー'*)
って実は現代人が忘れかけている、大切なものの一つなんではないでしょうか。“便利さ”“効率のよさ”だけで全てがよい方向に行く訳ではない、ということを改めて認識しないといけない時期にきているのかもしれません。(了)
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